小網代の森と干潟を守る会
小網代 森と干潟つうしん バックナンバー

 

|第125回 自然観察&クリーン会員便り干潟の雑学(16)小網代を詩うスタッフコラム(エーデルワイス)
スタッフコラム(森の隅っこで)小網代の森と干潟を守る会の活動小網代の森と干潟を守る会総会のお知らせ
干潟のゆりかごの小さな住人を休載いたしました。次号をお楽しみに。

第125回 自然観察&クリーン

春の小網代を満喫

 2015年4月29日(祝)に小網代の森と干潟を守る会の定例観察会が実施されました。参加者はスタッフを含めて28名。昨年の7月20日に小網代の森が一般公開されて初めての春の観察会ということで大きな期待がある反面,ゴールデンウィーク初日ということで三崎口駅前には多くの行楽客がごった返しており,混雑の不安がありましたが,NPO法人小網代野外活動調整会議の流域ガイドの案内で小網代の南側の尾根をたどり,小網代湾側から森に入り,中央の谷を遡るロングコースを歩きました。
  引橋のバス停付近から森の全景を見渡すと木々の新緑がまぶしく,またその中にも様々なみどりや赤っぽい新芽,白いミズキの花,淡い紫のフジの花など様々な色が目に飛び込んできました。引橋付近は道路が高い位置に敷設されているので樹冠の観察に適しています。高木(マテバシイやスダジイなど)の新芽の様子を触れながらじっくり観察したり,眼前のフジの花の香りに酔いしれたりと観察会でなければ通り過ぎてしまうような場所ですがじっくりと堪能しました。
 小網代の南側の尾根は宅地開発が進んでおり,だいぶ様子が変わってきました。小網代流域の最高地点(小網代給水塔のちょっと手前)からは小網代の森を通して相模湾が,さらに進むと三崎の市街地,城ヶ島,その奥に伊豆大島,東側には三浦市の最高地点である岩堂山,房総半島の南端などが一望できます。三崎台地を知るにはとてもよいコースです。ただ,比較的交通量が多いので注意も必要です。
 高山配水池前から小さな谷戸を下り,小網代湾に至ります。ここも小さな流域なのです。小さくはありますが流れもあり,以前は棚田として使われていたものと思われます。現在は畑作が行われているため,刈り払いがきちんと行われていて,キランソウの花がきれいに咲いていました。
 小網代湾に出ると小網代の森の散策をした方と多くすれ違いました。やはり,ゴールデンウィーク初日で天候もよかったことからかなりの人出になった模様です。えのきテラスも昼食をとる方で一杯でした。干潟の手前はハマダイコンが咲きほこり,モンキアゲハやジャコウアゲハが飛び回っていました。
 数日暖かな日が続いていたのですがアカテガニはまだじっとしている様子。動くにはまだ早いのか,それとも多くの人出に驚いているのか。時々出てきては観察者を喜ばせてくれました。
 午後は中央の谷を遡りましたが,午前中と比べるとかなり散策者は少なくなってきました。下流の大湿原では,Bogと呼ばれる沼地にはガマ,コガマ,ヒメガマが葉を出しており,シオヤトンボが飛び回っていました。Marshと呼ばれる湿原にはオギが一斉に生い茂り,Swampと呼ばれる、立木のある湿地では貴重種であるサラサヤンマが見られました。山腹にはヤマツツジの赤が目立ち,木々にはフジが絡まり紫色のカーテンのように美しく香ります。真ん中広場ではクサヨシが風に揺れて気持ちのよい草原となっていました。川に目をやるとカワニナがすごく増えていて観察者の目を引きました。ハンゲショウの湿地を進んで上流域に到達すると,谷底一面アスカイノデでジュラシックパークの様と声が上がりました。カワトンボが数多く,ゆったりと飛んで目を楽しませてくれました。楽しみにしていたフデリンドウは一輪しか開いてなく残念でしたが,内容盛りだくさんで充実した観察会となり,参加者の皆さんは春の小網代の森を十分に満喫できたことと思います。

 

矢部和弘 記
写真 松下景太・浪本晴美

 

What's Newご参加の皆さま コメントありがとうございます

小網代の森と干潟を守る会このページのトップへ  

 

 What's New会員便り

 

 

小網代の森と干潟を守る会このページのトップへ  




 What's New干潟の雑学 (16)

◆ 小網代干潟に暮らすヤドカリたち ユビナガホンヤドカリとテナガツノヤドカリ

ヤドカリの指と手とはどこでしょうか? ヤドカリ類の歩脚は7節に分かれています。メスの第三歩脚の体に近い底節に生殖孔があり、一番先端が指節です。ユビナガホンヤドカリはこの指節が長いことで名前が付けられています。ヤドカリの手とはハサミでしょうか。一般的にヤドカリはオスのほうがメスよりも体のサイズが大きい性的二形が見られます。テナガツノヤドカリでは左のハサミに性的二形が見られ、メスのハサミは丸く小さいですが、オスのハサミは大きくて横長です。(ツノヤドカリの仲間のツノは眼の基部にある眼棘の間に可動性のくちばし状の額角突起があることから名前が付けられたようです)
小網代湾の干潟で多く見られるヤドカリは寒流系の種であるホンヤドカリ科ホンヤドカリ属のユビナガホンヤドカリPagurus minutus Hess, 1865(低水温時繁殖型)と暖流系の種であるヤドカリ科ツノヤドカリ属のテナガツノヤドカリDiogenes nitidimanus Terao,1913(高水温時繁殖型)です。干潟では、ユビナガホンヤドカリとテナガツノヤドカリは干潟の底質(砂泥)、生息場所の塩分濃度と季節的な棲み分けなどが見られるようです。ユビナガホンヤドカリは個体数の増減はありますが、季節を問わず年間を通して干潟全域で見られます。特にミオスジの流れの周辺や少し大きめな転石、カキガラの下などに群れになってたくさん暮らしています。干潟においてはユビナガホンヤドカリが通年では個体数においてテナガツノヤドカリを圧倒しています。テナガツノヤドカリはほぼ1年を通して干潟のやわらかい砂泥底の場所で砂泥に半ば埋もれた状態(1センチ位までは潜っている)でたくさん見られます。私が“5月の潮だまり”と呼んでいた干潟上部の小さな潮だまり(中央に大きな石のある長さ180センチ、幅100センチの潮だまり)で干潟のヤドカリの数を数えてみました。1年間毎月1回調べてみると、この潮だまりで見られたヤドカリは合計で5531匹でした。そして、ユビナガホンヤドカリが5093匹、テナガツノヤドカリが438匹で、この潮だまりでは92.1%はユビナガホンヤドカリでした。しかし干潟の特定の環境のところではテナガツノヤドカリが優勢となっています。真冬の1月、2月には干潟の中央部あたりのやわらかい砂泥底の場所で、30センチ×30センチくらいの中に30〜50匹近くの個体が集まった集団が見られました。

テナガツノヤドカリは季節移動を行うことが観察されています。九州天草の干潟では5〜6月ころに群れをなして干潟をミオスジに沿って下へ下へと移動するのが見られるそうです。この大群は大潮の前半に現れ、ヤドカリたちは水深が20cm未満になると一斉に砂の中から現れて行進を開始します。25cm×25cmのコドラートを最大で235個体が通過したとあります。このために7月になると干潟ではテナガツノヤドカリはほとんど見られなくなるそうです。そして彼らが干潟に帰ってくるのは9月ころです。つまりテナガツノヤドカリたちは繁殖期のピークに干潟の沖にある水深の深い場所に移動すると言うことです。何のためか?繁殖に有利、夏の干潟よりもえさが豊富、夏の干潟の暑さを避けるため、さまざまな要因が考えられますがはっきりとしたことは解っていません。干潟に生息している十脚甲殻類では移動を行う種の例(カニ、エビジャコ、スジエビなど)は多くあります。干潟に生息するユビナガホンヤドカリも冬の産卵期に沖の深場に移動します。 アメリカ、テキサス州、ガルベストン湾では、ホンヤドカリ属2種とヨコバサミ属1種が暮らしています。浅い泥干潟にはヨコバサミ属1種が独占的に生息していますが、冬の間、ホンヤドカリ属2種が移住してきて、次の春までこの泥干潟に留まります。また、水槽で飼育すると、ホンヤドカリ属のヤドカリは水温の上昇や水質の悪化で容易に死んでしまいますが、ヨコバサミ属のヤドカリは生存しています。そしてホンヤドカリ属のヤドカリは夏期の間より水深の深い所に移動することによって干潟の高い水温(40℃に近い)を避けているそうです。また、大西洋の河口域の干潟に棲むホンヤドカリの1種Pagurus longicarpusは冬に深場に移動します。この種の繁殖期は夏です。アメリカ大西洋岸の泥干潟に生息するヨコバサミの1種Clibanarius vittatusはオスが夏の終わりから冬にかけて、メスが少し遅れて秋から冬にかけて深場に移動します。この種の繁殖期は初夏であり、移動は繁殖期とは直接関連がありません。したがってこの移動は冬の気候(低温と風)を避けるためであると推測しています。 小網代の干潟でもテナガツノヤドカリは夏の繁殖期のピークに水深の深い所に移動しているのでしょうか。ユビナガホンヤドカリは冬の繁殖期のピークに深場に移動するものと思われますが、全く干潟で見られなくなることはないようです。
また、ユビナガホンヤドカリの多くの個体は7、8月に干潟に残ります。しかし干潟の砂泥底の温度が35度以上になってしまうためか、ミオスジのヘリの所には多数のユビナガホンヤドカリが集まって水中より温度の低い(30度から32度)陸上に出ているのがかなり目立ちます。
この時期(7月、8月)、高水温(35度から40度)の干潟の潮だまりの砂泥中にはテナガツノヤドカリが見られます。このことを裏付けるように、小型水槽で小網代湾の干潟のヤドカリを飼育してみると、テナガツノヤドカリのほうがユビナガホンヤドカリよりも暑さに強いようです。また、真冬の干潟の中央部あたりのやわらかい砂泥底の場 所でテナガツノヤドカリの190匹もの集団が見られました。真冬の干潟では砂泥底の気温は夜には0℃近くまで低下するものと思われます。このようなことからテナガツノヤドカリは高温にも低温にも適応した種と思われます。ではなぜ干潟ではユビナガホンヤドカリのほうが個体数で優勢なのでしょうか?テナガツノヤドカリに適した干潟の底質環境の場所が少ないのでしょうかそれともテナガツノヤドカリが好む巻貝の貝殻の質と量が少ないのでしょうか?幼体の生育環境が少ないためか?小網代湾においては、ユビナガホンヤドカリは干潟だけではなくアマモ場やアマモ場近くの岩場にも多数の個体が見られます。従ってユビナガホンヤドカリは波の静かな内湾のさまざまな環境に適応できる種なのでしょう。同じような岩場でも外洋の岩場ではユビナガホンヤドカリが見られないのは塩分濃度が少し高い場所を好まないためでしょうか。小網代の漁港近くの岩場ではユビナガホンヤドカリと一緒に外洋の岩場でたくさん見られるホンヤドカリも暮らしています。小網代の干潟での2種のヤドカリの棲み分けには2種のヤドカリの幼体、成体の干潟環境(底質、温度、塩分濃度、空の貝殻資源量など)の利用方法の違いや幼体の移動、成体の繁殖に伴う移動などが関係していると思われます。
ヤドカリでは繁殖期になるとオスがメスの入った貝殻を持ち歩く行動が見られます。交尾前ガードと呼ばれています。オスは最初に出会った成熟メス(オスを引きつける性フェロモンを出しているメス)をガードします。メスはすぐに産卵できるにもかかわらず、産卵せずガードされ続け、ガードされながらも性フェロモンを出し続け、多数のオスを引き寄せます。このためにオスはガード行動の間他のオスと戦い続けなければなりません。メスは間接的に強いオスを選んでいるのです。卵が正常に孵化できるまでの期間はホンヤドカリでは5日間くらいですのでメスは“いいオス”を選んで、時間切れになる前に貝殻から出て交尾すればよいのです。これがヤドカリのメスのしたたかなオスの選択方法です。

 

小網代干潟でユビナガホンヤドカリの繁殖行動が見られるのはおもに1月、2月、3月、4月の4ヵ月で、テナガツノヤドカリの繁殖行動が見られるのは4月、5月、6月の3ヵ月です。2月、3月ころには干潟で小さなホソウミニナの貝殻に入ったユビナガホンヤドカリが多数見られます。おそらく一ヵ月くらい前に孵化した個体と思われます。 これらのことから小網代の干潟のユビナガホンヤドカリの繁殖期は10月ころより翌年の3月くらいまで、ピークは1月、2月ころと思われます。そして、小網代の干潟のテナガツノヤドカリの繁殖期は5月ころより9月くらいまで、ピークは6月、7月ころではないかと思われます。九州天草のテナガツノヤドカリの繁殖期は非常に長く、4月から11月で、抱卵のピークは7月から9月とあることから、小網代のテナガツノヤドカリの繁殖期もかなり長期間にわたっているかもしれません。
九州大学天草臨海実験所に近い東浜干潟(砂質干潟)に生息するテナガツノヤドカリはその個体の81%がイボキサゴを宿貝として利用しているそうです。小網代の干潟ではユビナガホンヤドカリもテナガツノヤドカリも共にホソウミニナの貝殻を住まいとして利用する割合が高く、テナガツノヤドカリではほぼ100%ホソウミニナであり、ユビナガホンヤドカリの大きなオス個体がスガイを利用し、わずかな個体がアラムシロガイ、タマキビガイ、イボニシなどを利用しています。小網代の干潟では殻径5mm前後の小さなホソウミニナの貝殻資源量は多いと思われますが、繁殖時期が異なることと利用可能な小さなホソウミニナの貝殻資源量との関連性はあるのでしょうか?テナガツノヤドカリの幼体も小さなホソウミニナの貝殻を利用しているのでしょうか?
小網代湾のヤドカリはユビナガホンヤドカリが個体数として圧倒的に多く、岩場、アマモ場、干潟、干潟奥のアシハラ近くまでさまざまな環境に適応して生息し、全体として優占種であると思われます。しかし干潟環境の変化により近年テナガツノヤドカリが移入しているようです。
ユビナガホンヤドカリは水中から長い時間陸上に出ても生存可能ですが、テナガツノヤドカリは陸上では生存できないのでは?干潟のほうが餌となるものが豊富なのか?住まいとして最適な貝殻が手に入りやすいためか?干潟の低質が体を砂泥中に埋めることが多いテナガツノヤドカリにとって最適なのか?きびしい干潟環境を巧みに回避し適応している干潟のヤドカリであるユビナガホンヤドカリとテナガツノヤドカリについてはまだ面白いこと、解らないことが多くありそうです。小網代の森は四季を通して訪れても見飽きることがなく、特に春と秋は華やかに彩られすばらしい自然に出会えるので多くの人が訪れます。それに引き換え小網代の干潟はさまざまな生き物に満ちあふれていますが、カニの仲間を除いてあまり目立たず、グニャグニャする生き物やベトベトする生き物が多く敬遠する人が多いようです。しかし、干潟を訪れて観察するたびに新しい発見や驚きに出会えてワクワクしています。数年に渡り年間を通してヤドカリをはじめ干潟に棲む生き物たちを観察してみると、地球温暖化の影響や小網代の森の変化などを直接感じることができます。
小倉雅實

参考文献
1)三宅貞祥、相模湾産甲殻異尾類。保育社、1978
2)武田正倫、エビ・カニの繁殖戦略、平凡社・自然叢書27、1995
3)朝倉先生の研究
4)五嶋先生、吉野先生の研究
5)ライト先生の研究
6)リーバッハ先生の研究
7)フォゼリンガム先生の研究
8)菊池泰二編、天草の渚、―浅海性ベントスの生態学―、東海大学出版会、2006

小網代の森と干潟を守る会このページのトップへ  




 What's New小網代を詩う

 

小網代の森と干潟を守る会このページのトップへ  

 


 
 What's Newスタッフコラム

What's New 深山薄雪草を探す

 ヨーロッパアルプス原産のキク科の多年草、高山植物の名花で人気が高くバッチやアクセサリー等々に用いられている。開花期は夏、頂上近く強い風当りの岩場や草付*に咲いている。10〜20センチの高さで黄色い茎頂には7〜9個の頭状の花が付く、全体に白い綿状の軟毛が密生する。この仲間は、変異が多くひとつの山毎に1種といった特異種が見られるという。その葉の形からミヤマウスユキソウ、ホソバウスユキソウ、ヒナウスユキソウ等と呼ばれている。
 数ある高山植物の中で、最も知られた花といえば深山薄雪草「エーデルワイス」を第一にあげるだろう。数種類ある花の中で、ヨーロッパアルプスに咲く最も類似したウスユキソウと呼ばれるのは岩手県北上山地最高峰の早池峰山(1917m)のハヤチネウスユキソウが有名。1900メートル圏の頂上付近の、岩場の南斜面に群生するウスユキソウの仲間の中で最も大柄な花である。清楚な綿毛の葉に水玉のような露が付着して微かにソヨと風に揺れていた。
  他には、山形、新潟県境の大朝日岳(1870m)や山形、新潟、福島県境の飯豊山(2105m)の 山頂付近で小型のヒナウスユキソウを数多く見ている。上越国境の谷川岳(1977m)の頂上近くの危うい岩場ではミヤマウスユキソウを確認している。
 尾瀬の至仏山(2228m)や東北の鳥海山(2236m)ではホソバウスユキソウが咲いているというが確認はしていない。また、人気の高い北、南、中央各アルプス山頂付近で咲いているのはタカネウスユキソウといわれるが数は少なくなっている。遠く離れた北海道礼文島の礼文岳(490m)、緯度が北のため3000m級の高山植物の数々が確認できる。風当りの強い山稜はではレブンウスユキソウが咲いていた。
 本場のヨーロッパアルプスでは数多く盗掘されてしまい、今では僅かに危険な岩場に登って行かないと見ることはできないといわれる。スイスアルプスではガイドと一緒に探し求めて歩いたが、その宝石のようなエーデルワイスを残念ながら確認はできなかった。
  世界の屋根といわれるチベットに近い峻険な奥地に聳える、中国アルプスと親しまれている四姉妹山「スウクウニャンシャン」(6250m)。三姉妹山、二姉妹山、大姉妹山(5335m)と東面へ向かって高峰が並んでいる。四川省都の成都は古代蜀の都で、軍師として高名な諸葛孔明と国王の劉備玄徳の墓があることで有名。小型バスで険路を約10時間途中、野生のパンダの生息地である3000メートル圏の臥龍で1泊。4500メートルの峠を越えて四姉妹山連峰を望む山奥の日隆鎮(鎮は村の意)へ入る。
 宿泊を重ね高度順応してから、大姉妹山への途中3500メートル付近の草原の崖面近くで深山薄雪草の大群生地があった。足の踏み場もないとはこのことをいうのだろう、ある所にはあるものだとビックリした。この辺りは小型で力強い高地用四川馬の放牧地なので、ここのウスユキソウはウマの餌場になっているのかなと思った。

祖父川精治
* 登山用語。急峻な岩場で草や低木の生えている所。(大辞林)

 

小網代の森と干潟を守る会このページのトップへ  

 

 

 

What's New森の隅っこで!
2014年7月20日開放いらい森でであった方々の声を不定期でお届けします。 NO.3
恒例の4月29日の例会の折、帰りの木道からムラサキケマンの葉が黄色いのが目立つのに気がつきました。 講師の先生も首をかしげていましたが、参加者のIさんが、早速 調べてくださったので、以下に紹介します。ありがとうございました。
 5月初旬小網代から学ぶ会からの友人が竹製の10cmくらいのおつまみなどをいれるかにをかたどった器をプレゼントしてくれましたので、ご紹介します。爪をうまく工夫しているのが面白いですね。足もうまく折れているように見えます。どうですか、今夜のおつまみは竹の蟹の背中に蟹のしおからなんぞをのせてみては、いかがかに!?

 以下略しますが蟹運搬と見られる地名が続き、応神天皇が矢河枝(やがわえ)姫の出会いやその容姿の美しさを表現していきます。
 古事記中巻に 応神天皇が近江の国に行こうと出かけたとき宇治の木旗の村で美しい矢河枝姫をみかけ、「明日、あなたの家に入る」と告げたので、父親は天皇とみて大喜びでご馳走を用意してまっていました。
  応神天皇は姫に杯を取らせながら上記の歌を歌ったとあります。鯖街道があるように大昔は蟹街道があったことを伺わせるエピソードです。きっと塩辛の蟹に違いないと筆者はひそかに思っているのです。
 5月中旬ラジオの深夜番組で定期的にレポートしている三浦市の方が小網代の森を紹介していました。誇らしげに紹介していることが印象的でした。
 5月の末北尾根から三崎高校へいく尾根道に住んでいる知人が近況を短く知らせている文章にであいました。 「近頃は小網代の森へ出かける人々の通りで賑やかになった。」と。
 6月初旬、蛍を見に小網代へ行くので、駐車場を借りたいという友人からの電話あり。きっと賑やかな蛍の乱舞が見られたのだろうなと想像しています。
  昔、横須賀自然・人文博物館の蛍博士の大場信義先生に偶然、蛍の初めて出そうな晩にであったことを思い出しました。出そうな予感が蛍の大御所、大場先生と一致したという1点だけで、大感激してしまったものです。
  その後、真っ暗な夜、電燈も持たずに、一人で河口から源流まで、蛍をみながら、足元をつまずかせながら歩いたことも思い出しました。森中に生息し 点滅飛行の蛍は誰もが好きな昆虫なのでしょうね。これも守られれば他の生き物も守られると大場先生の著書にあった記憶があります。蛍と人間、ずうっと仲良しでいてほしいものです。  (大場先生は現在退官され蛍の研究に専念しておいでと伺っております。) 

記 宮本美織

小網代の森と干潟を守る会このページのトップへ  

 

 

What's New小網代の森と干潟を守る会の活動
 4/29   第125回自然観察&クリーン 
  スタッフ会 (於 三浦市総合福祉センター)
 5/4   スタッフ会 (於 横須賀市立 市民活動サポートセンター)
6/6   日本ナショナルトラスト協会総会出席
6/27   小網代 森と干潟つうしんNo.140印刷・発行
  スタッフ会 (於 横須賀市立 市民活動サポートセンター)

 

What's New三浦半島まるごと博物館連絡会の
  「三浦半島だより」に掲載されました

 

 




What's Newイベント参加記

 1991年守る会発足1年以来、参加している日本ナショナルトラスト協会の総会に出席しました。
  議事に従い型どおり、議事成立、(団体正会員12、委任状提出13団体で成立)、議長選任、議事録署名委員選任の後、第一号議案の事業報告と決算案の提案がありました。
  公益目的事業1として、10件のナショナルトラスト地の取得、維持管理、6件の不動産取得税の減免申請、2件の固定資産減免申請、相続財産の寄付、遺贈に関する調査・研究など。・・・新たに取得したナショナルトラスト地は全て寄贈で、スライドによる説明がありました。
  公益目的事業2として、普及啓発事業で全国大会の開催、ニュースレター発行、トラスト地訪問ツアー、研修の受け入れ、連携支援事業で10件の情報提供や式典への参加など、提言事業として、ナショナルトラスト推進のための法制度や税制、事業化などに関する調査・研究がされました。
  平成26年度貸借対照表、正味財産増減計算書、同内訳書、財産目録、財務諸表に対する注記、付属明細書が提示され可決されました。
  第2号議案 平成27年度予算の変更案について、説明があり、第3号議案監事の選任、第4号議案定款の変更について提案され、いずれも可決した。定款の変更は取得したトラスト地にかかる税金の非課税化に有効に動くように変更したとのこと。その他、今後、買い取りたい土地のことや守ってほしいと要望があった土地についての説明などがありました。
  神奈川のナショナルトラスト運動を支援し続けてきた小網代の森を守る会は第2代の神奈川トラストみどり財団の局長である中丸博之さんに勧められて団体会員になりました。当時は社団法人で、全国のトラストを進める会として、全国のトラスト地を回って全国へ発信していました。会では希望者が参加してきました。大阪、群馬、函館の古い町並みの保存、青森の小さな浜の会(種差海岸)、三重県赤目の里、大分臼杵の干潟、知床斜里の町の100平方m運動の地、田辺市天神崎の自然を大切にする会、静岡の柿田川みどりのトラスト、東京の世田谷区のトラスト、埼玉のトトロのふるさと基金、鎌倉の風致保存会などなど、全国で大切な自然や建物を英国のナショナルトラスト運動に習って、守っていこうと大きな情熱を持つ人々にめぐり合い、また、当該地の自然と文化の深さに触れ、感激、大いに勇気を頂いて帰ってきたものです。当会も過去3回、青森と鎌倉、神奈川大会で発表者になり、全国の参加者に協力をお願いしたことがあります。
  今回も天神崎の玉井さん、柿田川の漆畑さん、中池見湿地の笹本さんなど、長年、自分の大切な場所を守ることに関わってきた方々も参加されていて、その情熱が伝わってきます。日本ではまだまだ、認知度はあまり高くないけれども大事な運動ですのでいつまでも応援したいものです。

宮本 記

小網代の森と干潟を守る会このページのトップへ  

 

 

 

What's New第26回 小網代の森と干潟を守る会総会のお知らせ

日 時   2015年8月30日(日)11時〜12時
場 所   南下浦市民センター市民センター(京急三浦海岸駅下車 徒歩1分)
第一部 総 会   第6号議案では、会名称の変更、会則の変更、会員年度の変更等、重大な提案がされる予定です。会員各位には奮ってご参加くださいますよう、お願いいたします。
※ 是非ご出席ください。ご都合がつかない方は、同封の委任状を8月21日(金)までにご投函ください。
    森と干潟の散策(第一部終了後、三々五々)

お知らせ
 会員のみなさまへは、新年度の会費納入用の振替用紙を同封するところですが、今回の総会において当会の運営上重要な決議事項があるため、会員のみなさまにはその議決結果をふまえた上で、会員継続の御判断をいただきたいと思います。  当会は、ながらく小網代の森保全をめざしての活動を主としてまいりましたが、昨年神奈川県による森の保全が完了しその目的を達成したことで、会の活動方針の舵をおおきく転換し、これからは森を楽しむことをつうじて、会員の交流をはかりたいと思っております。  新しい会にご期待ください。
代表 高橋伸和

小網代の森と干潟を守る会このページのトップへ  

 

 

                 

小網代 森と干潟つうしん   NO.140   2015年6月27日発行

森も海も干潟も 奇跡の集水域生態系を未来の子どもたちへ
小網代の森と干潟を守る会
所在地 神奈川県三浦市初声町
代表 高橋 伸和   info@koajiro-higata.com
URL: http://www.koajiro-higata.com
年会費: 一般会員\1000 賛助会員\5000(7月〜6月 入会金不要)
郵便振替 口座 00260-4-21569    加入者名 小網代の森と干潟を守る会

 

Copyright (C) CLASSIX CAMERA All Rights Reserved.