小網代の早春 磯の海藻と生きもの

2015年2月21日土曜日(晴れ)
集合場所の京浜急行三崎口駅前の河津桜が2分咲きといったところで、やっと三浦半島へ春が来たなという思いです。 今日のテーマである「磯の海藻と生き物」、講師の小倉雅實さんから観察会資料を頂いたので要旨を抜書きしました。
◎緑色の海藻(緑藻類)スジアオノリ、アオサ類、日本沿岸では 約260種が知られている。
◎赤色の海藻(紅藻類)寒天の原料であるテングサ類や海藻サラダに入っているトサカノリ、日本沿岸では約900種が知られている。
◎褐色の海藻(褐藻類)ワカメ、コンブ類、ヒジキ、日本沿岸では370種が知られている。
昼食後に、小倉さんからイギリス海岸で採取してきた海藻類の細かい説明がありました。 参加者の中でTさんは、海藻類で学位を取得されたという専門家です。
現在では、朝食にパンを食べ牛乳を飲む家庭が多いが、昔は、白いご飯に焼き海苔、海苔や昆布の佃煮、味噌汁の具にはワカメ、ヒジキと油揚げの煮物が並んでいたこともある。また、オデンには昆布は欠かせない。オヤツの時間になるとコンブアメ、トコロテンやミツマメ等々、私たちは四六時中海藻類を実に多く摂取していたことになる。
水道広場から源流へ下ると、見上げる葉を振るい落としたコナラの幹に空の大きなキイロスズメバチの巣を確認。漢字では優しく雀蜂と書くが、中国語辞典で調べると馬蜂とある。馬とした方が、アバレウマを連想させてぴったりするとおもう。他にはカラスの空きの巣を3コも見付ける。
真ん中広場近く、暖かい春の日溜りといった斜面にはタチツボスミレの大群落。Sさんから一瞬見落としそうなシュンランが2株も咲いていたのを教わる。

また淡い緑のフキノトウも一ツ見つけ、水溜りに浮かぶアカガエルの卵も孵化寸前といったところである。
柳テラスでは、上空高くなんとノスリを2度も確認する。最初はオオタカという見方もあったが尾羽が広いので正しくはノスリ。また干潟上ではミサゴを見る。 Mさんが撮影に成功、後にメール便で送ってきてくれたので確認をする。波穏やかな水面に飛び跳ねるボラ、その横へ静かに浮かぶ頭が緑のマガモの群れ。
帰り、カラスが50羽近く枯れ木に止まっている。私たちを見て気づき、バサバサバサと大きな羽音をたてて一斉に飛び立つ風景といったらゾットする怖さであった。頭部保護のために
帽子は必携と思う。
本日の観察会は、海藻類の他にワシタカ目のノスリとミサゴが確認できたのは大収穫。森を公開後、大勢の人たちが楽しいハイキングに訪れているが小網代の森の自然の様子は昔と少しも変わっていないと感じました。
祖父川精治 記 (写真:鈴木清市・松下景太)
あめふらしの砂ギモの話し
砂ギモといえば焼き鳥を思い浮かべる人が多いと思います。焼き鳥の砂ギモは鶏の砂嚢で消化器官の一つです。砂ギモは鳥類のほか様々な動物が持っており、ミミズにも大きな砂ギモがあり、畑の土を耕しています。
アメフラシの食べ物は海藻類ですが、その種によってはっきりとした食物の好みを持っているようです。ヨーロッパのアメフラシ(Aplysia punctate
(Cuvier,1803) は亜沿岸域では紅藻類を、沿岸域では緑藻類を食べるそうです。また、アメリカに棲むジャンボアメフラシ(Aplysia
californica J.G.Cooper,1863)は紅藻類(ソゾ類、ユカリ類)を食べるようです。

日本のアメフラシ(Aplysia kurodai (Baba,1937))は緑藻類のアオサ類を好み、緑藻類がないときには紅藻類を食べ、褐藻類(ワカメなど)を好まないようです。アマクサアメフラシ(Aplysia juliana Quoy & Gaimard,1832)は褐藻類のワカメとアオサ類を好むようです。 ハワイのアマクサアメフラシは緑藻類のオオバアオサ(Ulva lactuca Linnaeus,1753)だけを食べているそうです。アマクサアメフラシは秋、9月中旬から10月初旬ころ干潟近くでたくさん見られることがあります。
小網代の湾奥ではワカメとアオサ類がたくさん見られる時には多くのアマクサアメフラシが見られます。アマクサアメフラシと同じころにトゲアメフラシもたくさん見られることがありますが、トゲアメフラシは砂泥の表面の珪藻類や藍藻類を食べているようです。春から夏には大きなタツナミガイ(Dolabella auricularia (Lightfoot,1786))も見られます。タツナミガイは食事に関してはジェネラリストで、緑藻類、アマモ類、褐藻類と何でも食べるようです。
アメフラシ類の食事はまず、口の口球の中にある歯舌で海藻類を削り取って食べます。続いて食物は嗉嚢(そのう)に入り、次に砂嚢(さのう)に送られて細かくつぶされ、最後に消化腺のある胃に送られ消化されます。
ウミウシの仲間では頭楯目(Cephalaspidea, ブドウガイ目)のいくつかの仲間とアメフラシ目(Aplysiacea, 無楯目)が砂嚢を持っています。砂嚢を持っている頭楯目(Cephalaspidea,
ブドウガイ目)の仲間にはCylichnidae(スイフガイ科)、Retusidae(ヘコミツララガイ科)、Philinidae(キセワタガイ科)、Bullidae(ナツメガイ科)、Haminoeidae(ブドウガイ科)があります。そして、砂嚢を持っていない仲間にはGastropteridae(ウミコチョウ科)、Aglajidae(カノコキセワタ科)があります。
アメフラシの砂嚢は赤い筋肉の袋で、袋の内側の壁には大きなキチン質のピラミッド型のプレートが10個近く並んでいて、海藻類を粉砕して海藻のジュースにします。その下の部分の内側の壁にはやはりキチン質のさまざまな大きさの小さなフック状のプレートが並んでいてすり潰しそこねた海藻類が胃の中に送り込まれないようになっています。このようにアメフラシ類の砂嚢は内側にキチン質のプレートが

ある大きな筋肉の袋です。
小網代の干潟で見られるアマクサアメフラシでは砂嚢中のキチン質のプレートが4~5ミリの大きなものから1~2ミリの小さなものまで、全部で33個ありました。アマクサアメフラシよりも大きなアメフラシの砂嚢の中にはおそらく50個以上のキチン質のプレートが入っていると思われます。
ウミウシの仲間の頭楯目(Cephalaspidea, ブドウガイ目)とアメフラシ目(Anaspidea, Aplysiacea, 無楯目)の祖先は砂嚢の中にキチン質や石灰化したプレートを持っていて、藻食性であったと考えられています。しかし、進化の過程でプレートが変化したり、喪失したメンバーも見られています。
砂嚢を持っている頭楯目(Cephalaspidea, ブドウガイ目)の仲間には3つの砂嚢プレートがあります。アメフラシ類には砂嚢の中に大きなキチン質のピラミッド型のプレートとキチン質のさまざまな大きさの小さなフック状のプレートがたくさん入っています。
小網代の干潟にはPhilinidae(キセワタガイ科)の仲間のキセワタもたくさん棲んでいます。キセワタの外観はウミウシと同じようにヌルッとしていて柔らかいですが、体の中に薄くて小さな貝殻があります。そして砂嚢の中には薄い貝殻からは考えられない大きな石灰化したプレートが3枚入っています。キセワタは大きな二枚貝などもこの3枚のプレートを使って食べているようです。頭楯目(Cephalaspidea,
ブドウガイ目)の小さな仲間のコメツブガイ(Retusa (Decolifer)insignis (Pilsbry,1904)、ヘコミツララガイ科)

やコヤスツララ(Didontoglossa koyasensis (Yokoyama,1927)、スイフガイ科)も小網代の干潟に棲んでいます。コヤスツララの殻長は大きくても4ミリくらいですが、やはり長さが1ミリ以下の3枚の砂嚢プレートを持っています。そして小網代の干潟では有孔虫やゴカイ類の卵などを食べているようです。また、小網代の干潟でも見られるブドウガイ(Haloa
japonica (Pilsbry,1895)、ブドウガイ科)やナツメガイ(Bulla ventricosa Gould,1859、ナツメガイ科)
もやはり3枚のプレートを持っていて、藻食性です。アメフラシ類は藻食性ですが、頭楯目(Cephalaspidea, ブドウガイ目)の仲間にはキセワタやコメツブガイ、コヤスツララのような動物食性の種からブドウガイやナツメガイのような藻食性の種まであります。
後鰓類(opisthobranchs)の仲間の化石からは初期の後鰓類が2億年くらい前の中生代三畳紀に現れたと考えられています。また、頭楯目(Cephalaspidea, ブドウガイ目)とアメフラシ目(Anaspidea, Aplysiacea, 無楯目)は化石の記録などから1億8千万年くらい前の中生代ジュラ紀に現れたと考えられています。
現在後鰓類(opisthobranchs)の仲間は全世界に分布して、さまざまな環境に適応しその種数も膨大な数になっています。この適応放散に導いたキャラクターにはいくつかあると考えられ、その一つがこの砂嚢と砂嚢プレートであるとされています。
アメフラシ類は砂嚢を筋肉の袋にして強化し、砂嚢のプレートの形と数を変化させて海藻類をたくさん食べられるようになりました。

頭楯目(Cephalaspidea, ブドウガイ目)のキセワタ類は3枚の砂嚢プレートを石灰化して、大きくすることで堅い二枚貝や大きな生物を貪欲に食べられるようになりました。ブドウガイ科(Haminoeidae)の仲間では3枚の砂嚢プレートの形をさまざまに変化させて効率よく海藻類が食べられるようになりました。このの仲間では3枚の砂嚢プレートの形態の変化が種の分類にも使われているようです。
砂嚢と砂嚢プレートを1億年以上かけて進化させ動物性の食物から藻食性までさまざまな食物が食べられるようになることで世界中の様々な環境で生活できるようになったのでしょう。
堅い貝殻を捨ててしまい柔らかい体を露出したまま干潟でのんびりと暮らすアメフラシ、しかしその消化器官には最強の消化力をもつ砂嚢と砂嚢プレートがあります。
小網代の干潟でアメフラシに出会ったらそのパワフルな砂ギモを思い出してください。
小倉 雅實