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小網代 森と干潟つうしん バックナンバー |
小網代の森を守る会の最終総会が開催されました。
今回の総会では、神奈川県による森保全が完了したことをうけて、当会の活動方針を変更して新しい名称を付して新しい活動をしようとの議題が議論されました。その結果本号の総会議事録に記載の通り承認可決いたしました。
これまで長い間森の保全を目指して共に活動して参りました。御存じのように昨年7月に保全された森が一般にオープンされ、だれでも自由に森を歩けるようになりました。
思えば四季おりおりに森に入り藪漕ぎして、擦り傷だらけになりながらも、この森が守られればいいねとの思いにかられ、やみくもにやってきたことが、楽しく思い出されます。
同じように森にすむ生き物たちも、この森がどうなってしまうのかと思いながら命を繋いできました。薄暗い藪のなかで出会ったウサギやヘビなどは、いま保全成った森ですこしは安堵しているのではないかと思います。これからは安心して家族を増やしていってほしいものです。
会員のなかには、新しい森をまだ体験していない仲間も多くいます。これからは新しい名称を
日 時 2015年8月30日(日)11時から11時40分
場 所 三浦市於 南下浦センター 講堂
全体司会 (松下)
開会挨拶 (高橋)
議長選出 (加藤)
資格確認 (松原)
第一号議案 2014年度活動報告 (橋)
第2号議案 2014年度会計報告並びに監査報告 (宮本)(竹内)
第3号議案 会の名称並びに会則変更 (高橋)
第4号議案 2015年度予算案 (宮本)
第5号議案 スタッフ案
第6号議案
その他 議案審議、質疑応答、採決後、議長解任
議事の詳細は会員専用ページをご覧ください
木道に沿ってゆっくり歩くと、いろいろなものが五感を刺激します。目に入るものはもちろん、音やにおいや空気の流れ、ときには味覚もかんじられます。 立ち止まって、目をつぶると自分の心臓の音や、呼吸の音まで、いつもは無意識のうちに通り過ぎてゆくたくさんの感情までも新鮮に訴えてきます。もっと感じてくださいと。 どんな所だろうと多くの人々が訪れる小網代の森は、三浦半島の台地のくぼみにひっそりと存在する小さな世界です。 てっぺんから眺めると地面のしわが海に続くようすが良く分かり、斜面からしぼりだされた真水の流れに沿って下っていくと、いつしか足元が海水に浸るところまで歩けてしまう。こんなことが面白いと思う。
木道はとてもよい観察道具だ。手すりに張られた細い糸には、いろいろなクモたちが見られる。近寄ってよく見ると、つかまって餌食になった虫たちも。 手すりには何かがはったあとが、きれいな模様になって残っている。カタツムリなのだろうか、右に左に幾何学模様を描きながらコケを食べたのだろう、緑色の表面が削り取られて地の色がでている。 止まっているトンボやハチ。日向ぼっこをしているカナヘビ。きれいな羽を開閉しているチョウなどをずいぶん離れたところから気が付いて見ることができる。 流れの中のカワニナやヌマエビ、時にはアユなど。水面をわたるアメンボの光と影模様。流れの音や水の振動を上からしっかり観察できる。 色とりどりの落ち葉が敷き詰められ、まるで絨毯のようになったときは、一瞬とまどいながらも、そっと踏みしめて歩いた。アケビやクリの実がごろんと寝そべっている。 雪の日、木道は白いお化粧をして歩いた人の足跡をのこす。滑った跡もよくわかる。ときにはしりもちも。もちろん鳥や動物の足跡もくっきり。 植物の成長もよくわかる。いつもの角や階段のわきに気が付いた芽がだんだん大きくなり花が咲き、実になり朽ちていく。 静かに木道を歩くと、普段そこにあって気が付かない何かにふと心をとらえられる。そんな瞬間が体験できる。おもしろい道が小網代の森にある。
高橋伸和
「守る」から「たのしむ」への転換にあたって、 「小網代の森を守る会」の創設メンバーに、四半世紀を超える森への想いを寄せていただきました。
小網代の森と干潟の会を閉じるにあたり 思い出すことなど、感謝をこめて
小網代の森を守る会の前身の「小網代から学ぶ会」は1988年11月13日、第一回小網代の森ウオーキングから始まり、巡回写真展、森と海のフォーラムなどを開催、小網代をゴルフ場にしないという願いを持った市民の集まりとして、1990年、小網代の森を守る会発足まで、観察会6回、通信発行20号を数えて、ゴルフ場にしない署名活動などを行ってきました。その中心になった方々は三浦市立旭小学校1年生の担任に誘われて小網代の森の保全活動に携わるようになったのです。 学ぶ会のスタッフはほとんどが三浦半島自然保護の会の会員で森を「三浦尾瀬」と呼んだ柴田敏隆先生に案内されていました。(柴田先生は2014年12月に惜しまれてご逝去されました。)
学ぶ会の仕事の中で一番大きいと私が感じていることは、1989年6月5日付けで当時の三浦市長と三浦市議会議員にあてた公開質問状です。4月1日に出された県の「ゴルフ場規制の特別措置の基本方針」「ゴルフ場規制の特例措置に関する取り扱い基準」に基づいて、「もしも小網代の森にゴルフ場ができたらどうなるのでしょうか」と15の質問をぶつけ、これを新聞の折込チラシにして、三浦市民に全戸配布したことです。何と三浦市長から回答がだされ、「ゴルフ場も含め緑も干潟も最大限保全しつつ、適正かつ効果的な開発をしたい」とし、15の質問には「どちらともいえない」の多い回答でした。これも全戸配布して市民に知って貰いました。鉛筆書きの手刷りの印刷物を知恵を絞ってやりました。回答を得て、ゴルフ場は難しいとの感触を得たのを覚えています。
守る会1代目代表のYさん、2代目Mさん、3代目Yさん、4代目Nさんまで、みんな「小網代から学ぶ会」のスタッフがそのまま、守る会の発足にあたり、会則、会費、目標など会の重要なことを決めてきました。観察会などの運営には、岸由二先生を始め、小網代支援のナチュラリストの集団の方々には最後までお世話になりました。有難うございました。
県の考えでゴルフ場か否かが決まると考えて、県当局には、市民の願いを何百枚の年賀状にして、届けてみたり、県民トラストの応援を受けて森の生き物、景色の写真などを紹介させてもらったりしました。いろいろな場所に出かけてはトラストでの森の保全を訴えたり、通信、自然観察、印刷物の発行など森の良さや貴重さを県民に知ってもらう活動をしてきたのは会員の皆さんのよくご存知のことです。トラストという限り、その勉強もしなくてはと全国の会に入会して、全国大会に出席して先輩たちの苦労や素晴らしいトラスト地の見学もしてきました。県のトラスト応援という形もありと認めて頂き、大いに勇気づけられました。アカテガニ募金やオリジナルグッズ販売などで県のかながわトラストみどり基金への寄付も毎年してきました。
1994年、三浦市長ゴルフ場開発断念、県知事「トラストなどいろいろな手法を組み合わせて保全」を表明。これを受けて県に「小網代の森保全対策検討会」が設置され、岸由二先生をはじめ、関係者が集まり、保全への法的措置が検討されてきたわけです。長洲一二県知事に小網代支援の若者たちがキララ賞を受けたとき、一緒に面会して、「トラストで守って」とお願いしてきたのを記憶しています。
1998年、小網代野外活動調整会議が結成され、会は全面的に(金銭も含めて)応援してきました。(法人化されても全面的に応援してきました。)これ以降、数年間は1年中、花、道、鳥パトとして森中を歩き回り、自然の面白さを味わった時代でした。
2005年、70haを国土審議会が近郊緑地保全区域に指定され、国の資金と県の資金の両方で土地の確保ができるようになりました。これは県でも難しい判断があり、担当者は薄氷を踏む思いだったと副知事から直接伺ったことがあります。県の関係者も大変な仕事をしておいでなのだとつくづく有難く感じました。
2011年4月、名称を「小網代の森と干潟を守る会」と変更し、干潟を意識して、活動することになり、2012年、ほとんどの森の土地の公有化がされ、土地利用も変更され、猟区でなくなり、2年の工事を経て、2014年7月20日の開園を迎えたのです。個人的にはビジターセンターのゴミ掃除おばさんの密やかな夢が一瞬、見えて嬉しかったものです。
守る会は会員の皆様と一緒に名前を変えながらも、25年間、自然観察とクリーン、会報発行、森案内、かながわトラストみどり基金への寄付金集め、トラスト会員の募集などをしながら、森の保全の応援が出来たことを皆様と共に誇りに思います。
「もういいよ。」と天の声が聞こえてきました。対外的な「守る」に終止符を打ち、長年、一緒に森での時間を過ごしてきた仲間と共に森の恵みの享受に徹することにしましょう。
これからも続く優れた湿地の再生、創造を目指すNPO法人小網代野外活動調整会議の仕事に感謝しつつ。
宮本 美織
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守る会最後の総会が終えた翌日 娘2人と小網代を訪れました。 麻里の病が悪化して1年。 約1年ぶりに訪れた小網代は、 誰もいない雨の中、 心からわいてくる感動となつかしさで いっぱいでした。 麻里がいなかったら小網代の森の存在も 知らなかった私です。 縁あって守る会とかかわり 多くの人達と出会い 活動できた事 本当にありがとうございました。 仲澤いね子 |
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草木染のハンカチ タグに Koajiro No Mori To higata |
御縁あって森の保全に関わらせて頂き、二十年余 数多の支援協力を得、保全されたのです。 中々得難い活動の数々を体験させて頂き、自然の 奥深さ、偉大さは勿論人の絆の大切さも味わいました。 折角保全された森を増々価値を高め一層素敵 なものとし次世代にも愛されますように…。 訪れることすら叶わぬ昨今ですが、そのうち 折を見て入ってみたいと思っています。 山本述子 |
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長女の小学校の担任の竹本先生に誘われて、”小網代から学ぶ会”の森ウォーキングや、ポラーノ村の春まつりなどに参加するようになったのは1988年のことでした。学ぶ会主催のフォーラムで初めて岸先生にお会いし、森の自然の貴重さを教えられたのもこのころでした。
学ぶ会は、三浦市にもちあがっていたゴルフ場を中心とする三戸・小網代地域開発を何とか止めたいと、地元ナチョラリストの武田さん、竹本、宮本両先生を中心に結成され、通信を発行し、写真展や森ウォーキングなどを通して広く市民に呼びかける活動をしていました。私は三女出産前後で大した力にはなれませんでしたけど、“ゴルフ場建設凍結を求める署名”を頂きに近所を回り、授乳の度に大急ぎで家に戻ったことを思い出します。
37000人(内三浦市民13000人)もの署名が効いたのか、県は「自然環境保全の観点から特に重要な地域にはゴルフ場立地を規制する」との方針を直ちに公表してくれました。 それに力を得て1990年、まっすぐに 森を守る目的を前面に出した”小網代の森を守る会”を立ち上げました。宮本先生や地元のお母さんたち(仲澤さん、山本さん、他数名)がスタッフとなり、岸先生たちナチュラリストも強力に会を支えて下さいました。
これだけの規模の森を現実にどうやったら保全できるのかというところで、宮本先生が神奈川県にできたばかりの”県民トラスト”(現 かながわトラストみどり財団 みどりのトラスト)という素晴らしいしくみを応援しながら、小網代に”誘致”しようというアイデアを出され、これで安心して進むべき道すじが定まりました。ここから、たくさんの方に小網代の素晴らしさを知って頂き、”森を守ってという意思表示つきのトラスト会員”を増やす活動が始まりました。
この年は横浜で国際生態学会があり、エクスカーションで海外の生態学者が多数小網代を訪れ、首都近郊にこんな素晴らしい自然が存在することに驚き、小網代は保全されるべきだと表明して下さいました。われわれスタッフも同行して、ちょうどエクスポ90で特設されていた三崎港から江の島まで直行の高速艇に乗り込み、婦人センターで行われた会議を傍聴しました。11月には2年に亘って森に張り付いて取材した、NHKの地球ファミリーが放映され大きな反響が起こりました。
今振り返ると、このころは怒濤の日々でした。PCもケータイもなく、大事な連絡は電話(イエデン)、文書作成は手書きかワープロでした。個人宅で頻繁にスタッフ会議を開いていました。緊張した時期でしたが、観察会には多くの参加者があり、我々スタッフもみな幼い子供たちをつれていて楽しく賑やかに行われました。
少し後になって、お子さんと一緒に参加された浪本さんから素敵なイラスト入りのお手紙をいただき、観察会に子供グループを作ってはとの提案がありました。早速、大人とは別のスピードで動く子供グループを編成し、子供が自然に群がる不思議な力を持った大学生のお兄さん達に手伝ってもらいました。このことをきっかけに浪本さん、そのお友達の橋さんにもスタッフになっていただきました。数人だったスタッフは、いろんなきっかけで20人を超えるまでに増え、それぞれ素晴らしい個性と能力で会を支えてきてくれました。
会の歴史を自分の来し方と照らし合わせながら辿ってみるのですが、思い出が多すぎてこの調子ではなかなか現在まで到達しそうにありません。最も印象深いのはやはり草創期で、熱く、フル回転で、みんな若かった!そして驚くことに、今の会員さんの多くは、草創期から応援してくださっている会員さんだということ。本当に本当に感謝もうしあげます。
浦の川の流れと同じで、関わった人それぞれが自分はここからと思う始まりを持ち、自分だけが知る景色を持ち、仲間と合流しては共有するものが増えていく。そして、太く穏やかな流れとなって無事目的地の海へと到着したのです。夢のようだった森の保全が、実現したのです。
これからはゆったりと、森を楽しみましょうね。
松原あかね
5/4 | スタッフ会議(於:横須賀市立 市民活動サポートセンター) |
6/27 | 小網代 森と干潟つうしんNo.140印刷・発行(於:横須賀市立 市民活動サポートセンター) |
6/27 | スタッフ会議(於:横須賀市立 市民活動サポートセンター) |
8/4 | スタッフ会議(於:横須賀市立 市民活動サポートセンター) |
8/30 | スタッフ会議(於:南下浦市民センター) |
8/30 | 小網代の森と干潟を守る会最後の総会(於:南下浦市民センター 講堂) |
小網代の森全域の保全が完了したのは2010年のこと。そして、2014年7月20日、誰でもが入れる緑地として小網代の森が再オープンした時の嬉しさとときめきと言ったら、とても言葉には尽くせません。その間、小網代の森を守る会は「小網代の森と干潟を守る会」と改称し、森を見守りつつ干潟を中心に活動してまいりました。
今般、干潟の保全活動もNPO法人小網代野外活動調整会議が一括して行う体制となったため、小網代の森と干潟を守る会の、森と干潟を「守る」という活動は終了いたしました。これを受けて、当会は「こあじろの森くらぶ」と改称し、森を静かに見守りつつ楽しみ、お仲間の交流を深める会として再出発いたします。新しい会の活動にご賛同いただけましたら、是非会員の更新をお願いしたく、振込用紙を同封させていただきした。
小網代 森と干潟つうしん NO.141(最終号) 2015年9月27日発行 森も海も干潟も 奇跡の集水域生態系を未来の子どもたちへ |